自分に戻る

興味のあることを学びながら自分を見つける

すこしケリがついた話

さて、今回は前回の続きを書いていこうと思います。

私が、最近まったく活動できていなかったのは、今の自分から見て考えると燃え尽き症候群だったのかもしれないと前から思っていて記事にしようと思いました。
実はここ最近のことがあまり思い出せないほど、「こんなに事件って起こるの?」と思うことが勃発しすぎていました。
2月に書いたこの記事にあるように父が入院し、原因が分らぬまま検査を続けていました。

zhaoziji.hatenablog.com
 幸い、原因は分かり手術することになり、今は経過もよく過ごしています。
原因が判明し、手術が決まり、やっと少しほっとしたころに施設にいた祖母の状態が悪くなり、緩和ケアに入り、すぐに亡くなりました。
父は手術後でたくさんの管に繋がれた状態で病院から出ることはできずに私と母で葬儀を行うことになりました。
私は実は、父方の祖母とは施設に入る前は同居していましたが、折り合いが悪く、まともなコミュニケーションはとったことがありません。
施設に入った時点で言葉は悪いですが、今度会うときは骨になった時だろうと思っていました。
そう思って腑に落ちていたはずなのに、2月の講座の時に祖母のことを師匠に相談してアドバイスを貰ったりしていたので何か虫の知らせがあったのかもしれません。
緩和ケアで顔を見て私が孫であるか分かっているのかも分からず、それが最後となりました。
そこから、怒涛でお通夜の準備から葬儀まですべてを成立させるために母と2人でがむしゃらにやり遂げました。
負けず嫌いな私はこれを言い訳にはしたくないと思い、お弟子さんの宿題をやり、グループの皆に愚痴を吐きつつ、こなしていました。
もちろん、お通夜や葬儀の中で色々な想いがありましたが、そこはいつもの自立の力で感情と自分を切り離してこなしていたなと今では思います。
その時のことや祖母とのことはいずれまた書いていこうと思います。
宿題提出日の前の日にPCが壊れてグループのメンバーに助けてもらい・・・・ここまでこうなるかとさすがにその日は泣きました。
そして、慌ただしく過ごして最後のお弟子さん講座に参加してそのあとから私は、ちょっと休もうと思い、今に至っています。
お弟子さん講座の時は、終わったら、あれこれしようと脳が興奮していたのか、色々と考えていましたが、家に帰ってきた途端にぷつんと切れてしまいました。

私は自分が例え、追い詰められていたとしても、感情と切り離して物事をやり遂げていくのは昔からの習慣なのでやろうと思わずとも出来てしまいます。
これは一種の癖のようなものです。
しかし、今回これまでと違ったことは、「あっこのままいくとやばいな」と途中で分かっていたことです。
分かっていてもなるのが辛いところですが、今回は軽傷で済んだと思います。
そして、分かっていたので自分を把握して、休む時だと決断できたのも大きかったと今では思います。
何度も繰り返すことは、その都度、自分の力具合と相談していくしかないと思います。
すぐに「はい、もうやめました!」と癖を手放していけたらそれは幸いですが、なかなか難しいものがあります。
なので、その都度、自分の状態に気付いて自分を労わっていくことが大切だと思います。
そして私もとても苦手なことなのですが、思い切ってちゃんと休むことが必要だと思います。
書くのはとても簡単なんですけどね(笑)
今、書いていて「それが出来たら苦労しないよ」という声が聞こえました(笑)

今は、コロナの影響で旅行をしたり外へ出ること自体が難しいので、いつもよりできることが制限されていますが、その中で自分がしたいことをしていきたいですよね。
寝るのが好きならどんどん寝ましょう!
私はとりあえずひたすらぼーっとして音楽を聴いたりして過ごして、ある日、何かしようかな?と思えるタイミングが来たので見たかったドラマをひたすら見て、徐々に元気になってきました。
もちろん、やらなければいけないこともあると思うので、そういうことはこなしつつ、こまめに自分の時間を大切にしたいですよね。

このブログを読んでくださっている方でこれを読んで「もしかして私も?」と思われた方は、自分を労わってくださいね。
怠けるのが怖いとか休まない理由がたくさん浮かんできているかもしれませんが、そう考える時点でもう十分に頑張ってらっしゃると思います。
ちょっと意識してほっとする時間を過ごしてほしいです。
あなたが心に余裕をもって居てくれることは周りの方たちへの幸せにつながると私は思います。
無理せずに今を過ごしていきましょう。自戒の念を込めて。