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興味のあることを学びながら自分を見つける

金鉱の中に佇む

私は、2006年から細々と書いている日記があって、あの時はどう思っていたのかなとランダムに日付を選んで読んだりします。
この前ふと2012年3月22日の日記を読んで感じたことを書いていこうと思います。
ありがとう、過去の自分(笑)

 

2012年3月22日の日記を読んでいたら、今の心境を的確に記していました。
我ながらあっぱれだと思うけれど、どれだけその感情が大切なんだよと思ってしまいました。
決してポジティブとは到底思えない感情をずっと持ち続けている。
よっぽど私にとって大事なんだろうと思いました。
解決できたらいいのだろうけど、私はこれについてはもう10年選手になりつつある。
突き抜けられない。自分の中で・・・・
これについては本当にこんがらがっているので1つ1つ紐解いていくしかないのかもしれません。
自分で的確に誰かにこの悩みを話して、多分突破口も自分の口から出ているのに帰結ができないのです。
分かっているのに分かりたくないのか、それともまったく分かっていないのか。
この問題を持ち続けることによって私は何をメリットとして感じているのだろうか?
そうじゃなければ、こんな辛いものをここまで持ち続けていないはず。
でも持ち続ける理由がきっとどこかにあるはずだと思います。

どこかで期待しているのか。
こうじゃなかった、もっとやりようがあったと固執しているのか。
きっと何かがトリガーになるはずだと思います。
答えは必ず私の中にある。きっと。
そう考えるとこの問題は必ず私にメリットがあるはず。
メリットがないのにこんなに悩めない。
長年の問題を持つということはそこに才能がある。
才能があるとは到底は思えないけれど、何かはきっとあるはず。
その問題の答えに出会ったときにお前だったのかと驚嘆するのか、やっぱりお前かと謀られたような気持になるのか。

今から楽しみでありつつ、かなり怖い気もします。
どこから攻めようかな。どこから手放そうか。ルートはたくさんある。

こういう同じパターンを繰り返したり、またこの問題かと薄々気付いているような、今の季節の湿気のようにじっとりと自分の中に居座っているものってありますよね?
もちろんすぱっと解決できたら痛快で良いんだろうけど、なかなかそこは難しいかもしれない。
1つ1つゆっくりとみていきましょう。

 

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