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興味のあることを学びながら自分を見つける

家族への愛をひた隠す自分との戦い

物騒なのか優しいのか分からないタイトルから始まりました(笑)
師匠の通称手放し本を読んでいて、私はまだまだ家族を手放す覚悟がないなぁとひしひしと感じていたのですが・・・・・・
その前の手放しの覚悟の段階にも到達していないこじらせを起こしていたと気付きました。
それは本を読みながら、ふと思い出した記憶があって、お弟子さんの講座のセッション練習の最中、私は父親の手術や色々なことで相当追い詰められていました。
そのことを話したときに「お父様のことが大好きなんですね」と言われたんです。
私は心理学を学び始めたときから母との癒着もそうですが、家族への執着があることは分かっていたのですが、見ないようにしていました。
その見ないようにしていたものはいつしか、形を変え・・・・

家族が好きなことは恥ずかしいことだ。
家族と同居していることは大人としてだめなことだ。
今の私の状況は知られてはいけない。
いつか手放さなきゃいけない、できない自分はだめだ。
しかし、家族は守らなければならない。

上記のようなことを考えるようになりました。
執着がある上に私のまた重たい罪悪感のようなものが纏わりついて大きくなっていました。
しかし、それは人へ知られることを自分の中で禁じていたので、どうすることもできずに鉛のように私の心の中心に置かれていました。
このような状態で家族のために何かする行動はとても自分にも負荷がかかります。
何かは分からないけれど、体が重い。本当に不思議です。

そして、私は、先ほどのお弟子仲間の「お父様のことが大好きなんですね」の一言で私は泣いてしまいました。
それまで堰き止められていたものがうわっと出てしまいました。
好きと言って良いんだ、受け止めてもらえる感情なんだと思いました。
その時からしばらくは、「私は家族が好きなんだ、好きで良いんだ」といつも心の中で確認していました。
そうすると肩の力は抜けてすこし軽やかになった気がします。
何か家族に対して行動するときに「好きだからやってるし、これで良いんだ」って思えていたと思います。

そして本を読み進めていくと書いてあるのですが、例えば恋人を手放すとしても、手放すことは別れることがイコールではないということです。
私もいずれ、この執着と向き合う時期は来ると思いますが、私は家族を好きなことは変わらないことなのです。
好きという純粋な感情だけが自分の中にあり続けて、そして私が幸せな状態で私が心地よい距離感で付き合っていけるのだと思います。
まだまだそこまでの道のりは遠そうですが、きっとたどり着けると思いたい今日この頃!(笑)

手放すという文字を聞くと何もかも無くなりそうな怖いイメージがあるかもしれないし、私も実際分かっていながらも、そのイメージをどこかで持っていたかもしれません。
私はこの執着をおそらく子供のころから持っているので、何十年も一緒に共に過ごしてきて、もし手放したら、どうなるの?と不安になるのは仕方のないことかもしれません。
でも今回、好きと認めることができて、すこし軽やかなになった自分を見ると、この先に手放しがあるのなら手放しは良いものだと改めて思えてきました。

もし手放しに怖いイメージを抱く方はまずは手放しではなくて、自分がなぜそう思うのかを考えてみるのもいいかもしれません。
無理に手放しを試みても自分自身に負荷がかかってしまうので覚悟の部分で詰まってしまう人もいるかもしれません。
そこで、できなかった自分にだめだと思わずにまずは自分と向き合ってみてください。
私のように色々な感情が渦巻いている部分が発掘されるかもしれません。

そして、めちゃくちゃ些細なことなのですが、この手放し本は読んでいると自然と浄化されるのか、突然泣けてきたりするので場所を選んで読んでください。
私はお風呂で読んでいて大変なことになりました(笑)
※本にも手放しワークをする際は、集中できる場所でと記載はあります。


いつも私がここに書く一方で意見を申すところがないではないかと気づきまして・・・・

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