自分に戻る

興味のあることを学びながら自分を見つける

目指せ!ネガティブ日本代表!

いつもよりふざけたタイトルから始めてみました(笑)

少し前まで私は、自分のネガティブな部分を責めてました。

ネガティブな考え自体、自分を責めている部分が多いのに、

更にその思考をしている自分に対して自己嫌悪する・・・・・

負のスパイラルでぐるぐるしてた。

自分自身がそうなっていると、周りからネガティブは良くないよ、ポジティブに!とか言われたり・・・・・

そのアドバイスにそうだ!ポジティブ!って思うけど上手くいかなくて

また悩み始めるという・・・・・

 

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何がしたいんだ、私・・・・・・・・(眩暈)

 

そこでセッションをしてもらっていた人に

 

「ネガティブいいんじゃない?」

 

と衝撃の発言・・・・・・

その時は本当にホッとした。なんだ、いいんだぁって。

 ネガティブもきちんと見ていけば怖くない。

そう考える理由があるんだから、ネガティブだけを嫌悪しなくていいのだと思った。

そして何故かネガティブでもいいんじゃない?と言われてからそれまで以上の負のスパイラルにはハマらなくなった。

これは本当に不思議だった。


もしネガティブなことに苦しさを感じるならネガティブでもいいかもって少しづつでも思えたら、ホッとできるかも。

 

カオスなお片付け

この前の投稿からかなり間が開いてしまいました・・・・

ニーチェ先生にハマってまして(酷い言い訳)

 

さて、このブログは当時のことを思い出しながら書いていて思うのは、

喉元過ぎれば熱さを忘れるではないけれど、いつかはきっと突破できるということ。

私も今でも辛いこと、悲しいことたくさんあって当時も訳分からん!おりゃーー!とたくさん叫びたくなることがあった。

あの時の私は今以上に心の中に色々なものを見ずに溜めていて、

カオスな状況だった。

その一つ一つと仲直りし、向き合っていった。

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はい、あなたを見つけましたよ、手をつなぎましょう。

そんな感じで。怒りとも不安とも名前もついていない感情を解体して名前をつけて引き出しに片付ける。

たくさん泣いたし、怒ったし、嬉し泣きももちろん。

その中で確かにあったのはブログタイトルでもある自分に戻るという感覚。

あぁ自分ってこう思ってたんだ、感じてたんだ、こういう思考するんだ。

毎日一緒にいるのに全然知らなかった、いや、置き去りにしていた自分に戻った。

その時に特に大切にしていたことは素直で居ること。

正直、自分がこんなこと感じてたのか!と驚くようなどろどろとしてきたものも出てきて目を逸らしたくなるものもあった。

でもそれも正解。ありのままでいいのだから。

こんなこと思ってた!あはは!と思えたらこっちのもの笑

 

ここにたどり着いてくれたあなたは、なにかしら悩んでいるかもしれませんが、きっと大丈夫。

自分が今の状況でこう感じているんだと見つめるだけでもすこし心は軽くなると思います。

 

 

思考へ逃げる?

この前に書いた記事に続いて・・・・・・・・

 

zhaoziji.hatenablog.com

 

感情を感じると簡単に言うけど、私も最初の頃は、というか今でも疲れてくると何かもやもやしていて気付くと思考へ逃げていることがある。

 

不安だなぁ・・・・・、あの時悲しかったんだなぁ・・・・・

 

ん?でもそれはあぁするべきだったんだよ。

 

そうだそうだ。だよねー。

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なんだか眠くなってきた・・・・・

最初の方は感情だったのにそのうちに思考に切り替わって~するべきだったとか感情と切り離して考え始める。

こうなるとまた感情を感じることができなくなる。

私も当初はセッション中に思考へ逃げたねとよく指摘されていた。

自分では気付かないくらい無意識

私がよく意識していたのは、何かぐるぐる考えだしたときには怪しいと自分を出来るだけ客観的に見つめることをした。

感情のことを考えるとどうしてもその時起こった事実も頭に浮かぶのでその延長で思考へ流れてしまう。

もちろん、慣れるまではぐるぐる考えた後、あ!悲しかったんだぁと見つめるやり方もいいと思う。

 

そして私が何度も実践して思ったことは、感情には上澄みがあること。

例えば、怒りを感じた時にもちろん怒りは本当の感情ではあるけれど、その奥にまた感情がある。

何か事を為す時に生じる不安があってその不安を置き去りにして怒りに変わる。

なので怒りの場合はそこからなぜこのことに怒るんだろう?と掘り下げると何か気付きがあるかもしれない。

物事は本来はニュートラルなもの。色付けしているのは自分自身なので、きっとそこには何かある。

何かぐるぐる考えだしたらふと違うところから見てみるのいいかもしれない。

 

 

感情を感じる?

私が初めに困ったのは感情を感じきるという作業だった。

セッションを受けた際に私には強く後悔している何かがあった。

でももうその時には後悔って何?あれかな?と思う程度でそこにあった感情が麻痺してしまっていた。

 

ここで私が受けていたセッションの内容を簡単に。

例えば「人を信用したい」という題を自分が提示したとして、「人を信用できない」という前者に対する反したものを出す。

この2つの事柄について・・・・・・・・・・・

それをすればどのようなメリットがあるか、デメリットがあるか。

それができないとどのようなメリットがあるか、デメリットがあるか。

その質問を繰り返し行い、自分の深い部分へアクセスする。

 

そこでまず出てきたのが後悔をしている自分。

そして宿題に後悔したことを考えてくるということと感情を感じきる作業をすること。

後悔してることについてはかなりの数をリストアアップできた。

人間生きてれば後悔は多々あります(笑

 

そして難題の感情を感じきる・・・・・・・

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え?感情っておいしいの?何?

 

はい!感情どうぞ!って言って出てくるものではないので、何かが起こった時に感じていることに注目していくことにした。

あぁ今怒ってるなぁとか今悲しいなぁな・・・・・・・

感情の機微をよく観察するようになった。

感情はきちんと感じるとすーっとなくなる。

それをせずに思考へ逃げると感情がストックされて自分では分からないまま、蓄積される。

繰り返しやることで感情を置き去りにするともやもやし始めるので良く分かる。

もやもやを感じたらあの時こう感じたんだぁと改めて体験して感じる。

 

そしてここで重要なのはできない自分を責めないこと。

できなくてもいい。必ずその感情が表に出るタイミングが来るはず。

私もできなくて自分ってだめだなってたくさん思った。

そう思うなら究極な話はやめても良い。

どうしても負の感情を見つめることはその奥の問題を認識することになるし、抵抗もある。

私はそれより知りたいという好奇心が強かったから挑戦しただけであって出来なくても大丈夫と今は思える。

 

もし感情を感じきるについて悩んでる人はできなくても大丈夫という視点があると自分を責めることをしなくなると思う。

 

 

自分に戻るとは?

去年の1月くらいに知人のお誘いもあって自分の内側を知ることになるセッションを受けることになった。

その時ふと思ったのは自分を知るときが来たんだなという確かな想いだった。

話している中で、「今、話逸らしたよね」って言われる瞬間があって私はまったくもって無意識

 

 

無意識に話を逸らしてまで自分は何を奥底へしまってるのか知りたくなった。

 

 

ただただそれだけ。知りたい。

でも今振り返って思うことは、自分のことは自分が一番分からないのによくそこにメスを入れる勇気が持てたよなぁって思う。

その時は何が何でも良いからことを前に進めたくて、なぜ今、自分自身がこうなっているのか知りたい一心だった。

それをこれからすこしづつ書こうと思う。