自分に戻る

興味のあることを学びながら自分を見つける

比較競争で大忙し

比較競争に勤しむ今日この頃です。

 

お弟子さんのメンバーって本当に凄いんです。

 

その姿を目の当たりにするたびに凹みます。

 

本当に凹みます。

 

大事なことなので2回言いました(笑)

 

その比較や競争ってやり始めると辛いし、イライラしますよね?

比較や競争がポジティブな方に作用すれば、こうしたらいいんだ!とか私も頑張ろうとなりますが、ネガティブは方に作用すれば、比較して優越を感じたり、凹んだりします。
 

これって他人軸になってしまっているし、自信もないんですよね。
 

ダブルパンチやないか!とふて寝したくなります。
 

こうなってくると比較競争をどうにかするには?と思いますが、、、

 

負けを認める

 

相手を認める

 

どちらも6文字の簡潔な言葉ですけど、悶絶しますよね?(笑)

 

私は思うんですけど、自己肯定感をあげるワークで周りの人の良いところをあげてくださいと指示されて、書いた後にその書いたものはあなたの価値なんですよと言われるいじわるなものがあるのですが(笑)

これをここにも使えないかな?と思うわけです。

 

まずは白旗を掲げて、相手に見た価値が自分にもあると少しづつ見ていきたいですよね。

 

なぜイライラするかって自分もそこまで出来るはずだとか出来るはずなのにそこまでできてないと思っているから相手にそこを投影させて見ているわけです。
 

それならこちらもできる範囲で思いっきりとことんやりましょうぜってなれたら良いですよね。

色々書き散らかしましたが、究極な話、私や今これを読んでくれているあなたはこの世に1人しかいなくて表現方法、考え方、それがポジティブであろうとネガティブであろうとあなたが持っている大切なものです。

その価値を見られたらいいですよねって話ですよね(笑)

それが難しいのでは?と真顔で質問されそうな雑なまとめですが、そこはねぇ(笑)

 

私もまだ比較競争の真っ只中なので、そういう時は嫉妬してるなぁとか比べてるなぁとかその感情を認識してそれも私だよなって自分の中に取り込んでいく感じでやってます。

視点が相手から自分になるので冷静になってそこから考えやすくなります。

気付くだけで案外心持ちは変わったりするのでおすすめです(笑)

皮を剥いても剥いても、されど自分

これを書いたらこうなってしまうなど、考えすぎてブログを再開した途端に筆を折ることになりかけた私です。(笑)

 

今日はかなり唐突ですが、私の恐れについて書こうかなと。
恐れといっても色々ありますが、お弟子さん制度に参加して感じた恐れは・・・・

 

・目立ってはいけない

・ブログを書くことで誰かに不快感を与えたらどうしよう

・そもそも文章が上手くないので下手だと思われたくない

・出来ない自分を見たくないし見せたくない

・突き抜けてはいけない(普通が良い)

 

誰も見てないから大丈夫という言葉で事足りそうな恐れですが(笑)
本人はいたって本気なのです。
こういう時は自分に意識がいきまくっていて周りのことは見えてません。


目立ってはいけないというのは、私の幼少期の頃からのこの世の中を生き抜く戦略だったのでこれに関しては致し方ないよなという思いもありますが・・・


一つ一つこの恐れをブログに書こうと思った時にこう思う様々な自分も私なんだと改めて思いました。
この恐れは乗り越えようとか、まだこの恐れは生きるために持っておきますとか色々チャレンジしながらやっていこうかなと。


なんとか上手くまとまって安堵したと同時に、この恐れたちを考えてる時に自意識過剰になりすぎて、「そうだ!もう誰も私のことを知らない島に行こう!」と思った自分にはさすがに笑いました。

まぁその島についてはいくつか目星はついています(笑) 


ポンコツな自分を出すのもなんだか心が楽になるなぁ。

 

なるようになる

気付けば3年ぶりの更新です!

なぜ復活したかというと・・・・

 

根本師匠のお弟子さん制度に参加しているからです!

 

いつか本格的に心理学やカウンセリングについて学びたいと思っていたところに色々とタイミングが合い、参加することができました。

ブログでの発信が一つの課題なので自分らしくやっていこうと思い、このブログを再開しました。

お弟子さん制度は1回目を終わり、2回目の講座の日が迫っています。

好きなことを学ぶのは楽しいので自分自身疲れに気付いてなくて

1回目が終わった日の新幹線の中では気付いたら爆睡していて

急にがばっと起き上ったので横のお姉さんを驚かせてしまいました。

何かを書きとめようとペンを握ったままの爆睡でした笑

そんなこんなで(?)徒然なるままに書いていきますのでよろしくお願いします!

 

あえての逆をする?!

自分自身が自分を責めてしまう、その癖に気付いた。

こういうものは癖なので気付けば直せると思ってます(笑

例えば見れば嫌な気持ちになると分かってるSNSを見てしまう。

見てからやっぱり見なきゃよかったと凹む。

これだけたくさん情報が溢れかえる現代でよくあることだと思う。

見ちゃダメ、見ちゃダメと思えば思うほど気になってしまう。

そして自分の中でそのことだけにフォーカスしてしまう。

そこで私はあえて嫌なものをとことん見てやろうじゃないかと思った。

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出典:http://weheartit.com/

 

情報!どんと来い!!!!!

 

やけくそでしたが、これが意外とそう思って見てみるとなんてことないじゃんと気付く。

執着を手放すには一度ぎゅっとにぎらないといけない。

セッション中にも・・・・・・・

『この机の上にあるペンを手放すにはどうしたらいいと思う?』と聞かれた。

真顔で分からない私・・・・冷や汗でちゃったよ笑

握ってから放す。そんな単純なこともペンばかりにフォーカスしすぎると気付きません。

この一例は私があまりにもおバカな一面ですが、執着って客観的に物事を捉えられずに苦しくなっている状況だと思う。

もちろんフォーカスしているものを見ないようにして気持ちを風化させていくのも手だとは思うけど、それはなかなか難しい。

少なくとも私は逆に想いが増幅するばかりで辛かった。

だからもう飽きるほどにまじまじと見てやった!(笑

そうしたら妄想膨らませてるのは自分だと気付く。

そこで私らしいな、あははと笑えたらもう大丈夫。

自分ってめんどくせーあははと笑ってみる。

拗れてた自分がすこし素直になれる。そんな感じ。

 

 

目指せ!ネガティブ日本代表!

いつもよりふざけたタイトルから始めてみました(笑)

少し前まで私は、自分のネガティブな部分を責めてました。

ネガティブな考え自体、自分を責めている部分が多いのに、

更にその思考をしている自分に対して自己嫌悪する・・・・・

負のスパイラルでぐるぐるしてた。

自分自身がそうなっていると、周りからネガティブは良くないよ、ポジティブに!とか言われたり・・・・・

そのアドバイスにそうだ!ポジティブ!って思うけど上手くいかなくて

また悩み始めるという・・・・・

 

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何がしたいんだ、私・・・・・・・・(眩暈)

 

そこでセッションをしてもらっていた人に

 

「ネガティブいいんじゃない?」

 

と衝撃の発言・・・・・・

その時は本当にホッとした。なんだ、いいんだぁって。

 ネガティブもきちんと見ていけば怖くない。

そう考える理由があるんだから、ネガティブだけを嫌悪しなくていいのだと思った。

そして何故かネガティブでもいいんじゃない?と言われてからそれまで以上の負のスパイラルにはハマらなくなった。

これは本当に不思議だった。


もしネガティブなことに苦しさを感じるならネガティブでもいいかもって少しづつでも思えたら、ホッとできるかも。

 

カオスなお片付け

この前の投稿からかなり間が開いてしまいました・・・・

ニーチェ先生にハマってまして(酷い言い訳)

 

さて、このブログは当時のことを思い出しながら書いていて思うのは、

喉元過ぎれば熱さを忘れるではないけれど、いつかはきっと突破できるということ。

私も今でも辛いこと、悲しいことたくさんあって当時も訳分からん!おりゃーー!とたくさん叫びたくなることがあった。

あの時の私は今以上に心の中に色々なものを見ずに溜めていて、

カオスな状況だった。

その一つ一つと仲直りし、向き合っていった。

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はい、あなたを見つけましたよ、手をつなぎましょう。

そんな感じで。怒りとも不安とも名前もついていない感情を解体して名前をつけて引き出しに片付ける。

たくさん泣いたし、怒ったし、嬉し泣きももちろん。

その中で確かにあったのはブログタイトルでもある自分に戻るという感覚。

あぁ自分ってこう思ってたんだ、感じてたんだ、こういう思考するんだ。

毎日一緒にいるのに全然知らなかった、いや、置き去りにしていた自分に戻った。

その時に特に大切にしていたことは素直で居ること。

正直、自分がこんなこと感じてたのか!と驚くようなどろどろとしてきたものも出てきて目を逸らしたくなるものもあった。

でもそれも正解。ありのままでいいのだから。

こんなこと思ってた!あはは!と思えたらこっちのもの笑

 

ここにたどり着いてくれたあなたは、なにかしら悩んでいるかもしれませんが、きっと大丈夫。

自分が今の状況でこう感じているんだと見つめるだけでもすこし心は軽くなると思います。

 

 

思考へ逃げる?

この前に書いた記事に続いて・・・・・・・・

 

zhaoziji.hatenablog.com

 

感情を感じると簡単に言うけど、私も最初の頃は、というか今でも疲れてくると何かもやもやしていて気付くと思考へ逃げていることがある。

 

不安だなぁ・・・・・、あの時悲しかったんだなぁ・・・・・

 

ん?でもそれはあぁするべきだったんだよ。

 

そうだそうだ。だよねー。

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なんだか眠くなってきた・・・・・

最初の方は感情だったのにそのうちに思考に切り替わって~するべきだったとか感情と切り離して考え始める。

こうなるとまた感情を感じることができなくなる。

私も当初はセッション中に思考へ逃げたねとよく指摘されていた。

自分では気付かないくらい無意識

私がよく意識していたのは、何かぐるぐる考えだしたときには怪しいと自分を出来るだけ客観的に見つめることをした。

感情のことを考えるとどうしてもその時起こった事実も頭に浮かぶのでその延長で思考へ流れてしまう。

もちろん、慣れるまではぐるぐる考えた後、あ!悲しかったんだぁと見つめるやり方もいいと思う。

 

そして私が何度も実践して思ったことは、感情には上澄みがあること。

例えば、怒りを感じた時にもちろん怒りは本当の感情ではあるけれど、その奥にまた感情がある。

何か事を為す時に生じる不安があってその不安を置き去りにして怒りに変わる。

なので怒りの場合はそこからなぜこのことに怒るんだろう?と掘り下げると何か気付きがあるかもしれない。

物事は本来はニュートラルなもの。色付けしているのは自分自身なので、きっとそこには何かある。

何かぐるぐる考えだしたらふと違うところから見てみるのいいかもしれない。